ゲーム機の高性能化、曲がり角

ゲーム機の高性能化による成果物の象徴とも言えるファイナルファンタジーを丁度プレイ中なので、このシリーズを例に取るが。

「VI」から「VII」への変化は非常に衝撃的だった、という印象が今でも残ってますな。単にプラットフォームが変わったということだけでなく、表現方法が2Dから3Dに進化した、ということに。「VII」の序盤で、クラウドが「やれやれ」みたいな感じで肩をすくめる仕草を目にしたときに、おおこりゃすげえと思ったものです。これで表現の幅が飛躍的に広がったなあ、と。そりゃま、ドット絵の2等身キャラで、頭の上にピコーン、などと吹き出しを表示するという涙ぐましい表現方法(あれはあれで当時は斬新な表現方法だとは思ったが)に比べれば文字通り次元が違うわけで、身振り手振りをそのまま表示できるようになったのはすごい進歩だったのだと思う。

それに比べると、「IX」から「X」の変遷てのは根本的なところの変化はない、と言い切ってしまうと開発者に気の毒か。確かに同じポリゴンデータといってもクオリティはかなり上がってるんだけども。PSではムービーデータとして再生するしかなかったクオリティをPS2ではリアルタイムで動かせるとは言っても、実際画面を見てるだけならどっちでも「ポリゴンで作られた物体が動いている」ことに変わりはないしなあ。あとは、ポリゴンのグラフィックもだいぶ見慣れた、ということもあるし。慣れというのは恐ろしいものであります。今後、「VII」を目にしたときのような衝撃を、例えばPS3のソフト発売時にも感じることができるか、と言われるとちょっと疑問。これ以上次元は上げられないしね。というか、次元を上げても3次元の住人には認識できないし。

いや別に、グラフィックが綺麗になるだけでは意味がない、などと言うつもりはさらさらなく。そりゃ綺麗になることに越したことはないわけだし、そういう超美麗グラフィックの極限を追求したゲームをやりたくないかと言われれば、やりたいに決まっている。ただ、開発者は大変だなあ、と。労力に見合う満足感を提供できるのかどうか、ということに頭を悩ますことになるんだろうか。